H O M E
まえの 随想へ
サンフランシスコで尺八を 1
 2
10
11
12
13
14
15
16
つぎの 随想へ




 サンフランシスコで 尺八を (16) 札幌からの手紙(下)




それ以来、わたしは毎日外人ハウスの自分の部屋にとじこもり、悶々と考え続けています。(雑居部屋といっても、今のところ同居人はおらず、十畳の部屋を一人で使わせてもらっているのです。)

札幌に来てからのマックスのイメージと、それまで四年間つきあって知りぬいていると思っていた、知性と誠実さと責任感の固まりのようなマックスのイメージとが全くつながらないため、何をどう考えていいのかわかりません。

マックスが、新しい環境に移って急に激しい恋に落ちてしまったため、または別の生き方をしたくなったために、わたしと別れることにしたというだけなら、それは悲しくはあるけれど、納得できるのです。

でも、どうしてわたしがサンフランシスコを発つ前にそれを告げて問題を最小限にくいとめようとしなかったのか? どうして冒険的な生き方をしたいなどと言ってごまかそうとしたり、別の女性を妊娠させたから結婚するのだと嘘を言ったり、自分の思っていることや生活の全般について、ことごとくわたしに隠そうとするのだろうか?

今まであんなにわたしを信頼し、受け入れてくれていた人が、どうして急に心を閉ざすようになったのだろう? どうして急にあんな愚にもつかない封建的なことを言うようになったのだろう? どうしてことさらにわたしを傷つけるようなことを、これでもか、これでもか、というように言ったりしたりするのだろう?

わたしはこれまでの四年間、彼とは恋愛感情を伴わない親友同士ということで納得しあっていると思っていたけれど、もしかしたら彼の方ではそうは思っていなくて、わたしへの恋愛感情を拒絶されているという思いで傷ついていて、それを今になって、わたしが彼への恋愛感情を意識するようになり、彼についてどこへでも行くと宣言したので、しかえしをしようと思うようになったのだろうか?

そういえば、東京にいたころ、わたしが彼との六畳一間の同居生活のストレスに耐えられなくて、彼に隣の部屋を一人で借りるように申し渡したときも、また、その後わたしの部屋でいっしょに酒を飲んでいた彼がひどく酔っぱらったのを見て、「酔っぱらいを見るのはいやだから、自分の部屋に行って飲んでよ」と言ったときも、そして彼からのセックスの誘いをたびたびことわったときも、彼は暗い寂しい目をしてじっとわたしを見ていた……。

ジョンとの結婚を知らせたときは、それから何ケ月も手紙をくれなかった……。

マックスは、「あのあいだも、ずっと手紙を出しつづけていたのだが、長期郵便ストで手紙が届かなかったのだ」とサンフランシスコに来たとき言ったけれど、本当にそうだったのだろうか?

それとも彼は、子供のころからずっと、自分に完全な自信がもてなかったのが、アフリカでの体験をとおして急に他人への影響力に自信をもつようになり、いま、それをいろいろな人にためして、自分の存在の重要さを確認しようとしているのだろうか?

そして、その力が札幌での就職や、ほかの女性たちの心をつかむことに対してうまく通じなくてあせり、その力が簡単に通じるわたしの心をもてあそんで、それによってわたしが右往左往するのを見て自己満足しようとしているのだろうか?



こう思ったとき、わたしは愕然としました。わたし自身、あのポカラの神秘体験のあと、あなたと離婚するまでのあいだ、同じことをしていたのではないかと思ったからです。

わたしはあなたとつきあいだしたころ、あなたのユニークな発想と表現能力、あなたの知性と自己認識能力の確かさに魅せられ、それ以後あなたと暮らした十年間は、教えられることの連続でした。

そして、あのポカラでの強烈な神秘体験をさせてもらい、その結果、それまで空っぽな自分に劣等感をもっていたわたしが急に自分の潜在能力に対する自信をもつようになり、その能力を使って人々への影響力を試したいと思うようになった。

けれどもわたしたちに近づいて来る人々は、あなたの強烈な影響力に目を奪われて、そのそばにいるわたしの存在などには気がついてもくれず、また、あなた自身も、ポカラ以来さらに強くなった影響力を発揮して人々と関わるのに忙しくて、わたしの存在などすっかり忘れているように見えた。

わたしはあせり、あなたに嫉妬した。あなたのせいでわたしは自分の力を発揮できないと思ってしまった。

十年間あなたから色々教えられたおかげで、それまで劣等感のかたまりだったわたしが次第にありのままの自分を受け入れられるようになり、さらにあのポカラの体験までさせてもらって、言わば、あなたの存在はそのときのわたしの存在の基盤だったのに、そういうあなたの存在を切り捨てることで、わたしは自分の存在の独自性を確認できると思った。

あなたなんか必要とせず、一人で立派に生きて行けるということを自分にもあなたにも証明したかったのです。

(こういうこと全てを、その時はっきりと意識していたわけではありません。ただ、なんだか訳のわからない欲求不満の気持が、ポカラ以後だんだん強くなるのを感じていました。)



そしてわたしはあなたにいきなり別居を宣言し、あなたは意外にもそれを平静に受け入れたように見えたけれど、その直後のコピッピ島と東京では半狂乱状態に落ち入っているように見えました。

わたしは今回、マックスの完全な拒絶に会った時、そのショックですぐには彼に対する怒りを意識できず、いったんは彼への執着を切り捨て、彼の幸せを祈る気持になったのですが、その後、彼への怒りがよみがえり、それが彼に通じないため、彼を恨んだり、反対に自分自身を罰する気持になったりして悶々としました。

似たようなことが、あの時のあなたにも起こっていたのではないかと想像しています。

そして別居後のわたし自身は、あなたへの罪の意識とあなたを失ったことの淋しさを意識することを自分に拒否していたため、わけのわからない空虚感、虚脱感に襲われ、それを紛らすために、ことさら規則的な生活をし、毎朝暗いうちから公園に行って、ジョギングや発声練習、横笛、ジャグリングの稽古に励みました。



そんなとき、桃子に誘われて、一週間の「意識開発セミナー」へ参加しました。

そして朝から夕方まで様々な心理的エクササイズをして、わたしの防御壁が崩れ、心の中の淋しさ、罪の意識を強く感じるようになったとき、《願望を意識化する》というエクササイズがありました。

二人ずつで組になり、一方が「あなたが本当に欲しいものは?」と問い、もう一方がそれに答え、それをどこまでも繰り返して、それが終わると役を交代してまた同様のことをやるのです。

わたしと組んだのは、このセミナーの指導者訓練コースを終えたばかりだという、すなおで優しい感じの若い女性でした。彼女は物凄い集中度で、この問いをわたしの胸に突きつけてきました。

「あなたが本当に欲しいものは?」

「…………愛です」

「あなたが 本当に 欲しいものは?」

「……? ……? ……夫の愛です」

「あなたが "本当に" 欲しいものは?」

「……? ……? ……? ……ゆるしです」

「あなたが "本当に" 欲しいものは?」

「……? ……? ……? ……? ……人を愛せる心です」

「あなたが・本・当・に・欲しいものは?」

「……? ……? ……? ……? ……? ……?」

その時、全身全霊を集中してわたしの答えを待っている彼女のまなざしの真剣さ、暖かさ、優しさを感じ、わたしの心の中いっぱいに満たされている暖かさ、優しさ、心の痛みを感じました。

(そうだ、これが愛ではないか! わたしは愛され、ゆるされているではないか!! この人からも、太郎さんからも、桃子からも、今わたしを生かしてくれている全ての人々からも!!!)

「何もありません! みんな――みんなもらっています!」

涙があとから、あとから溢れだし、彼女も泣いていました。

それから二週間後の正月の日、わたしはあなたのアパートに訪ねて行き、「わたしはあなたを完全に受け入れられるようになったの」と言いました。――なんという傲慢な言い方でしょう。

でも、あなたはそういうわたしを嬉しそうに迎えてくれ、わたしも、もうこれで問題は終わったのだ、とその幸福感に酔いしれ、いい気になっていました。



そういうことがありながら、それからわずか半年後、あなたと行ったコパンガンでデイヴに再会し、わたしは彼に夢中になってしまいました。

ハンサムでスポーツ万能のデイヴは、わたしの小学生時代の初恋の男の子を思い出させる人でした。

その男の子もハンサムで、運動と勉強がずば抜けてよくでき、学校中の注目の的でした。

それにひきかえ、わたしは対人恐怖症で、のろまで、運動は全くできず、体育や家庭科実習の時間はみんなの邪魔になっているだけの、みっともないデクの棒。彼に認めてもらうことなど思いもよらず、近寄ることさえこわくて、いつもほかの子たちが彼と楽しそうに校庭でドッヂ・ボールをして遊んでいるのを、わたしは教室の窓から うらやましく眺めていたものでした。

そしてそのとき感じた劣等感、疎外感は、中学高校のあいだにますます強くなり、「こんなみっともないデクの棒を好いてくれる人がいるはずがない」という思いで、異性と話すことはおろか、顔をあげて歩くことさえできない状態でした。

その後、外国放浪で知りあったあなたを初めとする何人かの異性との交際のおかげで、知性的な面では受け入れられる自信をもつようになったものの、運動能力が象徴する強い肉体的コンプレックスは、意識の底に閉じこめられたままになっていたように思います。

そのわたしが、ポカラ体験のあと、急に運動能力に自信をもつようになり、スポーツ万能のデイヴに、対等な遊び仲間として認めてもらう希望をもつようになったのです。



わたしは懸命にキャッチ・ボールの練習をし、その時レムソンに滞在していた旅行者仲間のだれよりも上手くなり、それをデイヴに認められて有頂天になった。

その前二回の旅では、デイヴはあなたを崇拝し、わたしのことは、どちらかというと馬鹿にしている風だったのに、そのデイヴがあなたをさしおいて、わたしをキャッチボールに誘うようになったのです。

わたしは内心、これでやっとあなたに勝った、と鼻高々でした。

(あなたに対しては、昔も今も、深い信頼と尊敬と感謝の念をもっていますが、愚かにも、この競争意識だけは消えないのです。)



そしてわたしは、デイヴに魅かれていることをあなたに告げた。

それはただ、あなたに隠し事をするのがいやだったからで、それから先の、あなたとの関係やデイヴとの関係をどうしたいかというようなことは、全く考えていませんでした。

そうしたら、あなたはいきなりデイヴに「ユーコはおまえを好きだと言っているぞ。おまえはどうするつもりなんだ」と深刻な口調でたずねた。

それはまるで、うぶで内気な娘のために、その父親が相手との仲を取り持ってやろうとしているかのようでした。

わたしは驚きと屈辱感でカーッと頭に血がのぼり、発作的に、「わたしは離婚したい!」と叫んでいました。

(好きな異性に自分の思いを伝えるのを、夫にやってもらうようになっては、もうおしまいだ。わたしは自立しなければならない!)と思ったのです。

そしてデイヴは、おそらくは責任感からか、または好奇心からか、わたしをコタオ島への小旅行に誘い、あなたはまるで聖者のように穏やかな表情で送り出してくれた。

レムソン沖を通過する船の上から、わたしは心の中で、あなたに土下座していました。

コタオ島では、デイヴは彼なりに、いろいろ気をつかってくれたようですが、結局は、ただキャッチボールが少しできるというだけのわたしの存在は、彼にとって魅力的なものでも何でもないのは当然で、わたしはあっけなく失恋したのでした。

そしてレムソンに帰ってみると、失意のあなたは、すでに他の女性と恋仲になっていた。



わたしは空虚感、虚脱感に伴われて半年間インドを一人で旅し、そこで知りあったのがマックスでした。

マックスは、出会いのはじめから、わたしを非常な尊敬をもって扱ってくれ、わたしの話に真剣に耳をかたむけてくれ、するどい質問やコメントを入れて、わたしが問題を意識化するのを助けてくれました。

わたしはそれがうれしくて、どんなことでも包み隠さず彼に話し、彼もまた、自分の過去や日々の思いをうちあけてくれ、わたしのどんな質問にも誠実に答えてくれて、わたしのことを「最良の友」と呼んでくれました。

つきあいの初めのころは、わたしは彼の自虐的なところや、酒を飲みだしたら前後不覚になるまで止められないようなところが受け入れられず、彼をたびたび批判したり拒絶したりして傷つけましたが、彼はそんなわたしを終始一貫して受け入れつづけてくれ、わたしが日本社会に適応できない苦しさをうったえると、目に涙を浮かべながらじっと聞き、無言でわたしを抱きしめてくれたこともありました。

それでわたしは、いつのまにか、そんな彼を絶対的な親友として、頼りにするようになっていました。

それなのに、今回のことがあり、わたしはすっかり混乱してしまった、というわけなのです。



そして今、わたしは、あなたが二十年前に、ノイローゼになって《母親殺し》の小説を書きあげたときも、たぶんこんな状態だったのではないかと想像しています。

「母親に捨てられた子供」という劣等感から解放されて、自分のいろいろな潜在能力に自信をもつようになり、三人の愛人と同時につきあったり、新聞勧誘員を理屈で打ち負かしたり、ボーイフレンドと暮らしているお母さんとこだわりなく接したりできるということで、自分の影響力を試し、自立したことを確認しようとしていたのではありませんか?

ごめんなさい。わたしは自分だけが被害者や悪者になっているのが嫌なので、こんな理屈を考えて、楽になろうとしているのですね。

実際、この三週間(どうしてこんなことが…)と混乱し、なやんでいたのが、こう考えたらすっかり楽になったのです。(マックスも、わたしも、太郎さんも、同じことを、それぞれ別の時期にやっているだけじゃないか)と思ってね。――いい気なものだと思われるでしょうね。

あなたは、異性問題はもうすっかり卒業されましたか? よかったら、何か助言でもいただけるとありがたいです。勝手な言い草だとは思いますが……



札幌は、毎日雪が降りつづいています。綿雪がふわふわと落ちて行くのをじっと見ていると、わたしの心の中でも雪が降っているような、冷え冷えとした悲しい気がします。

でも、きのうは初めてあられが降って、陽気な気分になりました。
東京は、暖かくなったことでしょう。

カナダの瞑想センターから、受け入れるという返事が来ました。カナダに行く前に、東京に寄りたいと思います。たぶん三月三十一日ごろになると思います。

できたらあなたとゆっくりお話したいと思っています。

では今日はこれで。
体に気をつけて。

ゆうこ